★仕掛け人はシティマネージャー
2018年6月、山形県長井市を訪ねました。山形新幹線の赤湯駅から山形鉄道フラワーラインの花柄列車に揺られて35分、あやめ公園や黒獅子舞いで知られる、人口2万7千人の長井市に着きます。最上川の舟運で栄えた米沢藩の商業都市であり、レインボープランという資源循環型社会を実現したユニークな都市でもあります。この長井市が今、もうひとつユニークな子育て政策に取り組んでいるのです。市民あげての“絵本読み聞かせ運動”です。
「この町から世界と渡り合える人材を送り出したい」という内谷重治市長の願いに応えて、読み聞かせ政策を立案したのは泡渕栄人地方創生戦略監(&教育委員会教育戦略監)。岩手県出身の泡渕氏は、1997年に文科省に入り、「早寝早起き朝ごはん」運動などを経験。東日本大震災で復興庁ができると同庁石巻支所長として頑張り、それが一段落したところで政府の日本版シティマネージャー制度で長井市に着任した人物です。
復興事業を通じて、泡渕氏が得た有為人材のイメージは「意欲とスキルを兼ね備えた主体的な人間」でした。それは「自分で物を読み、情報を集め、具現化できる能力を持った人間」です。そんな人間に共通しているのは「早期の国語力の定着」だとわかりました。そして、その原点を探った結果、0歳から小学校入学前までの「読み聞かせ」にたどり着きました。
長井市の各家庭が「親子の読み聞かせ」を毎日行うようになれば、必ずや世界を動かす人材が生まれる理屈です。まずは市民向けに読み聞かせの意義と方法を解説した本が必要だということで、長井市は2018年2月、『きかせわっさ』というマニュアル絵本を刊行しました。「わっさ」は長井地方の方言で「いたずら小僧」を意味します。絵本の中の「きかせわっさ」は、開いた本を頭に載せた妖精の姿で出ていますので、東北の民話に登場する「座敷わらし」に似たようなものです。
★5人家族の日常とお勧め絵本84冊
監修役として絵本の制作に協力したのは、「親子のコミュニケーションや共同作業が脳を活性化させる」と訴える川島隆太氏(東北大学加齢医学研究所所長)と、「音読が人間の自立力と学力を高める」と訴える陰山英男氏(元立命館大学教授)。それに編集担当として西東桂子氏(元雑誌『幼稚園ママ』編集長)が加わりました。西東氏は編集業務だけのつもりでしたが、絵本の文面も担当することになり、図らずもこれが絵本作家としてのデビュー作になりました。
絵本は、保育園に通う女の子と男の子、その両親とお祖母ちゃんの5人家族の日常を描いています。仕事帰りに本屋で面白い絵本を見つけたお父さんが、お風呂の前に二人に読んであげ、お風呂の中でその中身を語り合います。お母さんは寝る前に、家族のレジャー計画に関する絵本を読んであげます。そしてお祖母ちゃんはときどき論語を教えます。子ども二人は覚えた論語をお父さん、お母さんに聞かせます。そんな内容ですが、「なるほど、こんな場面で読んであげればいいのか。音読はこんな風にすればいいのか」が自然にわかる形になっています。また各頁の下には、読み聞かせに向いている絵本がテーマ別に計84冊紹介されています。もしこれを全部読んでいけば、子どもも親も大変な知識人になることは間違いありません。もちろん、川島先生、陰山先生からのメッセージもしっかり載っています。
どこの自治体も子育て政策の充実を打ち出していますが、長井市のような事例は珍しく、その行方が注目されます。ただ泡渕氏は「行政の手法だけでは限界があります。親と子のそれぞれのトレンドを読むセンスとスピード感を持った良識ある営利活動組織が必要です。それをどう出現させるかが一番の課題です」と言います。それは暗に、幼稚園、保育園に対して、もっと踏み込んだ協力を要請しているようにも聞こえました。
幼稚園情報センター・片岡進