★女性に求める高い規範を男性にも
長引くコロナ禍で、多くの人が巣ごもり生活を余儀なくさせられました。そんな巣ごもり時間を有効利用して本を書いた幼稚園経営者が何人もいます。頭が下がります。私のところにも8冊ほど恵贈いただきました。多くは毎月発行の「園だより」に寄せたエッセイや詩歌を加筆修正したもので、これらは現場の教育論、実践録あるいは経営論として、その園だけでなく幼児教育界の貴重な財産になると思います。
その中にひとつ異色の作品がありました。福澤諭吉の著作『女大学評論』と『新女大学』を現代語訳した新書本です。著者は愛知・三重・豪州などで複数の幼稚園、保育園、認定こども園、保育者養成専門学校を運営する学校法人名古屋文化学園の加藤紳一郎理事長。2020年11月、慶応義塾大学出版会から刊行されました。
“女大学”とは現代の女子大学のことではありません。中国宋代(960〜1250年)の儒学書・四書五経の中の『大学』を模した“女子向け教訓本”で、江戸時代中頃から世に広まりました。『大学』は国家経営、天下制覇、民救済をめざす儒者の自己修養を説いたもので、江戸時代の武家、富裕な町民・農民の家に生まれた男子は、全文を暗記するほど学びました。そうした志ある男子を、妻として母として支えるには「どんな女性であるべきか」を事細かに記したのが『女大学』です。
福岡(黒田藩)の哲学者・貝原益軒が書いた「女子教育論」が原典とされますが、難解な文体だったため簡明な文章に書き改め、独自の解釈も加えて当時の本屋が競って出版しました。江戸時代の人々が待望していた本だったからです。
子煩悩で知られる江戸時代の人々は、男女の区別なく子どもを大切に育てましたが、唯一の気がかりは娘の将来でした。他家に嫁に行く宿命を背負っていたからです。嫁ぎ先でトラブルを起こして離縁でもされたら、愛娘の人生が不幸になると思ったからです。そこで父母は、どんな家風の家に行っても上手に生きていける高い規範(立ち居振る舞い、言葉遣いなど)を、幼い頃から娘に教え込みました。しかし、それが女性を殊更に厳しく見る社会を形成し、規範に届かない女性を蔑視するような風潮を生んでしまったのです。
そこで福澤諭吉は、『女大学』が生まれた時代背景や両親・祖父母の愛情を理解した上で、「ここに書かれていることは女子にばかり要求することではない。男子もまた、しっかりクリアすべき規範である」という独自の人間平等哲学に立って、『女大学評論』と『新女大学』を相次いで世に出しました。「天は人の上に人を造らず……」で始まる『学問のススメ』の刊行から27年後の1899(明32)年のことです。『新女大学』は成り行き上、このタイトルになっていますが、中身は『男女大学』か『夫婦大学』と言えるものです。
訳者の加藤氏は高校・大学を慶応義塾で過ごしましたが、福澤諭吉の偉大さに気づいたのは卒業から20年が過ぎた頃で、そこから改めて諭吉の研究に取り組みました。そして今回、この2作の現代語訳を完成させたのは、彼が日頃接している女性保育者や女子学生に読んでもらいたいと思ったからです。女性に関わる日本文化の歴史と構造を知り、また諭吉の人間平等哲学を知ることで、より一層の活躍と幸福を願ったのです。
折しも2021年2月は、東京オリパラ組織委・森喜朗会長の女性偏見発言が世界を騒がせました。その状況を考えると、江戸時代からの文化と教訓が骨身に染み込んでいる老人諸氏、その中の一人の老人を袋叩きにしたマスメディア関係者、SNSの若者を含め、すべての日本人に読んでほしい本だと思います。このタイミングで加藤氏が世に問うた福澤諭吉の男女平等哲学が、日本文化のヴァージョンアップに寄与することを期待したいものです。
幼稚園情報センター 片岡 進