★父の日が社会を変えるきっかけに
1980年代、幼稚園では父の日のイベントが盛んでした。
「母の日があるなら父の日も」とアメリカ人有志の間で父の日が生まれたのが1910年。それをアメリカ国家が正式に認知したのが1966年。その頃から日本でも知られるようになり、5月の母の日に並ぶ6月の行事に位置づけられるようになったのです。
当時のパパ達は、早朝出勤・深夜帰宅が当たり前の猛烈サラリーマンが多かったので、父親に少しでも子育ての関心を持ってもらいたいという幼稚園の願いも込められていました。
80年代は私も二人の子どもを幼稚園に通わせた時代でした。幼稚園業界に身を置きながらも「父の日、何それ?」と首をかしげ、「幼稚園に父親がゾロゾロいるのはむさ苦しい」と思いながらも、園児用の椅子に座って我が子と一緒に塗り絵をしたり、園庭で体操をしたものです。
園庭の外では母親が鈴なりになって父子の様子を見つめていたので、けっこう真面目に取り組んでいたことを思い出します。
ところが1990年代になると、父の日イベントは急に衰退しました。「園児の中に1人でも父親のいない子がいるなら、父の日イベントは配慮の足りない行事である」「その日に仕事を休めない父親はたくさんいる。事情がよく理解できない園児の気持ちを考えるべきだ」という反発の声に押されたのです。
6月の行事そのものを廃止した園もあれば、父の日のイメージを残しつつも、母親も祖父母も気兼ねなく参加できる「ファミリーデイ」に名称変更した園もありましたが、ともあれ父親の参加を強調する園は影を潜めました。
それが10年ほど前から、父の日イベントが色濃く復活してきました。6月の幼稚園を訪ねると、保育室の壁には、園児が描いたパパの肖像画が並んでいます。
子どもの描画技術がアップしたせいもあるでしょうが、どれも気持ちのこもった良い作品で、かつてのような渋々描かされた感はありません。そんな肖像画を眺めていると「私のパパも見て」と自分の絵を教えてくれる子がいます。「パパ大好き」の気持ちが伝わってきます。
この背景には、子育てにおける父親の存在感が、80年代とは比べようもなく大きくなり、父の日に対する違和感や反発が消えた幼稚園状況があります。
さらにコロナの後押しで父親の在宅勤務が増え、園への送り迎えは、母親より父親の方が多くなったと感ずるほどです。私には二つの子ども世帯に計5人の孫がいますが、片方はまさにその典型です。
父親は、母親のように誰にでも気軽に話しかけるのが苦手です。でも幼稚園の送迎で何度か会っている父親と駅やスーパーですれ違ったりすると自然に挨拶が出ます。それがきっかけで門の前でも世間話をするようになり、「最近は、お父さん同士の立ち話を見かけるんですよ!」と園長さんを驚かせています。
我が家の幼稚園パパも「パパだけでなくママ達とも立ち話する機会が増えた」と言います。40年ほどの間に幼稚園の文化が大きく変わったと言わざるを得ません。
もうひとつは、離婚社会に歯止めをかけたい、少なくとも子どもが在園中は離婚しないでほしい、という幼稚園の願いが父の日イベントを復活させたと言えます。
離婚社会の広がりと離婚夫婦の低年齢化で、離婚した親を持つ幼稚園児は、80年代より間違いなく増えていることでしょう。しかし、そうした子への配慮をした上でも、離婚社会を食い止めたい。母の日と父の日のイベントがセットで実施されれば、父母は卒園するまで離婚を思いとどまってくれるのではないか。それが幼稚園の奥底の願いです。
離婚によって、幼稚園を退園したり、笑顔の消えた子どもを数多く知っているからです。幼稚園の父の日イベントが、幼稚園文化をもっと変化させ、さらに日本社会をも変化させていくことを期待したいものです。
幼稚園情報センター・片岡進